自分も忘れていた件について、相手から軽すぎる謝罪。
…それに呆れ、ブロックを考え言葉を綴るも、最後には自分がやった努力を伝え、相手の努力を待つことに。
…自分は甘いんだろうか。
それとも、逆に苦難の道を示している辺り残酷なんだろうか。
…
幸せの基準、好き嫌いの基準、全て人それぞれだから、それに異を唱えるつもりはないけれど…せめて、相手の好き嫌いは、自分ができる限りにはなっちゃうけど尊重はすべきだ、とは思ってる。
その結果として、大好きな作品やその続編をいくつ諦めることになっても、それはもう、自分が選択をミスったから。
そして、今っていう時間は、その過去から無数にある選択の末続いたもの。
過去も、他人も、変えられない。 だから、変えられる何かというと、未来であったり、自分であったり。
そういった、まだ変わりやすいものを変えていくよう、考えるしかない。
…
思い返せば、僕は時々思い込むことがある…『自分にも出来るんだ、他の人も出来るだろう』と…あの時、そう思い込んでいなかっただろうか。
それを思い返し、次はもっと人に優しく、と考える…その人の優しいに合致するように。
あと、貫くとするなら、人の悪口は言わない。
世界でよく行われてるディベート(論争)における、最低限のルール。
ただ、今回の件については、相手は某者のことを下に見る発言をしていた。
自分と比して下なのになぜ、と。
そこに気付いて貰わないと、件の相手が人として変わることはないだろうと思う。
悲しいことに、友だちの数がそれを物語っていた。
それは、ともすれば自分がかつて歩いていた轍だから、僕には見えた。
件の相手にも、やがてでいいので見えるようになって欲しい、と声の届かぬここより祈る。